문헌자료[판결문] 퐁니·퐁녓 사건 응우옌티탄 국가배상소송 1심 판결문(2023년 2월) 일본어 번역본


베트남전 퐁니·퐁녓 민간인학살 사건 관련 

원고 응우옌티탄의 국가배상소송 1심 판결문(2023년 2월) 일본어 번역본을 공유합니다. 

판결문 원본에서 비실명화된 버전의 번역본입니다. (첨부파일 다운로드)


일본 현지에서 이번 번역을 맡아주신 번역가 님께 진심으로 감사드리며

모금 "베트남전 민간인학살 재판 승소 판결문을 세계인들에게"(모금 기간 2023.03.21~2023.06.05)를 통해

번역비 마련에 참여해주신 분들에게도 감사의 인사를 드립니다.


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ベトナム戦民間人虐殺事件国家賠償訴訟判決文をお伝えします。

 


日本にいらっしゃる市民の皆様、団体、学校、機関の関係者の皆様、お元気ですか? 私達は韓国の”ベトナム戦争問題の正義に溢れる解決のための市民社会ネットワーク“です。

 

“ベトナム戦争問題の正義に溢れる解決のための市民社会ネットワーク”(以下、ベトナム語略称)は、ベトナム戦争問題を省察し、行動するいろいろな市民団体と弁護士、研究者、活動家、芸術人等の個人が連帯しているネットワークで、2020年からベトナム戦争問題真相究明活動を続けています。ネットワークはクワンナム省のプンニ・プンニョㇰ虐殺被害生存者のウンウイェンティタン氏が、韓国政府を相手に提起した国家賠償訴訟を2020年から支援しています。

 

2023年2月7日、韓国のソウル地方法院は、ベトナム戦争民間人虐殺被害生存者ウンウイェンティタン氏が被告、大韓民国を相手に提起した国家賠償訴訟1審で、原告勝訴判決を下しました。今回の判決は韓国の政府機関によって、最初にベトナム戦争時期の韓国軍民間人虐殺の真実と、韓国政府の責任が認定されたという点で大きな意味があり、韓国とベトナムは勿論、世界の主要言論が今回の判決のニュースに注目しています。

 

ネットワークは今回の判決の詳しい内容を、ベトナムと日本を含めた世界の人々と共有しようと、判決文をベトナム語、日本語、英語で翻訳しました。日本の研究者の皆様、学者、記者、学生、市民の方々に、今回の判決文の翻訳本が伝えられることを願い、今回の国家賠償訴訟を含めたベトナム戦争真相究明問題、東アジアの過去史精算問題に対する関心と研究が拡大されることを願います。下記のリンクから判決文韓国語原本とベトナム語、日本語、英語の翻訳本をダウンロードする事ができます。この翻訳本は判決文原本から非実名化されたバージョンを翻訳したものです。

 

- 判決文ダウンロードリンク:https://url.kr/7czoqt

 

日本にいらっしゃる皆様の健康と平安、そして東アジアと世界の真の平和を祈願いたします。ここに再びお礼を申し上げます。

 


ベトナム戦争問題の正義に溢れる解決のための市民社会ネットワーク拝



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判決

 

事   件  2020가단5110659損害賠償(国)

原  告 原告〇〇

ベトナム社会主義共和国(以下住所省略)

訴訟代理人(省略)

被   告  大韓民国

ソウル瑞草区盤浦大路158(瑞草洞、ソウル高等検察庁)

送達場所 ソウル瑞草区瑞草3洞ソウル高等検察庁訴訟事務第1課

法律上代表者 法務部長官 韓ハン東勳ドンフン

訴訟代理人 政府法務公団

弁論終結  2022年11月15日

判決宣告  2023年2月7日

 

主文


1.被告は原告に30,000,100ウォン及びこれに対する2022年11月15日から2023年2月7日まで年5%、その翌日から支払済まで年12%の各割合による金員を支払え。

2. 原告のその余の請求を棄却する。

3. 訴訟費用は被告の負担とする。 

4. 第1項は仮に執行することができる。 

 

請求の趣旨

被告は原告に30,000,100ウォン及びこれに対する本件訴状副本送達の翌日から支払済まで年12%の割合による金員を支払え。

 

理由


1. 基礎事実

ア. 第二次世界大戦の終了直後、ベトナムのハノイではベトナム民主共和国が設立され、これを中心とした勢力とフランスの間に第1次ベトナム戦争が勃発して8年間継続したが、1954年7月に停戦協定が締結され、ベトナムは北緯17度線を境界として北のベトナム民主共和国(以下「北ベトナム」という)と南のベトナム共和国(以下、「南ベトナム」)という)に分断された。上記の分断後ほどなくしてベトナムでは北ベトナムの支援を受けるベトナム解放民族戦線(以下「解放戦線」訳注[1]という)が反乱を起こしたが、米国が1961年12月にベトナムに対する経済、軍事援助を決定して第2次ベトナム戦争(以下第2次ベトナム戦争を「ベトナム戦」という)が勃発することになった。

 イ. 米国政府はベトナム戦の初期には軍事顧問団中心の派兵と北ベトナムに対する爆撃の形でベトナム戦に関与し、1965年2月から米軍戦闘兵の大規模な派兵を開始してベトナム戦に本格介入することになった。一方、ベトナム政府は1964年7月に大韓民国を含む多数の国家に援助の提供を要請し、これに応じて韓国は1964年9月に医療陣と工兵を派遣した。その後大韓民国はベトナムと米国政府の戦闘兵派兵要請に応じて1965年10月に首都師団猛虎部隊、十字星部隊、海兵第2旅団青龍部隊、1966年9月に第9師団白馬部隊をそれぞれクィニョン、カムラン、ニャチャンなどの地域に派兵した。大韓民国軍は上記の頃から1973年3月にベトナムから撤収するまでベトナムの各地域で任務を遂行した。

ウ. 原告(原告、-)は1960年7月生まれで、ベトナム社会主義共和国(以下「ベトナム」という)国籍の人である。原告はベトナムのクアンナム省ディエンバン県タンフォン(Thành Phong)社[1975年以後ディエンアン(Điện An)区に地名が変更され、現在まで維持されている]フォンニィ(Phong Nhị)村[以下「フォンニィ村」という。]出身で、現在もそこに居住している。原告の父親Aは1967年に死亡し、1968年2月には母親B(1934年生まれ)、兄C(1953年生まれ)、姉D(1957年生まれ)、弟E(1963年生まれ)がいた。

エ. フォンニィ(Phong Nhị)村は1968年当時の行政区域で、クアンナム省ディエンバン県ズイスエン(Duy Xuyên)社の小さな町で、ベトナム中部の都市ダナン(ĐàNẵng)から南へ約25kmの地点、ダナンに向かうディエンバン県1号国道(以下「1号国道」という)付近にある。ベトナムの南北を結ぶ1号国道には米海兵隊と南ベトナム民兵隊が連合して作った連合作戦小隊(CAP、Combined Action Platoons、米軍が情報収集のために小さな個別単位部隊で編成した小隊をいう)が駐屯していた。

オ. 北ベトナム軍と解放戦線は1968年1月31日旧正月の明け方にベトナム各地 で大々的な攻撃(いわゆる「テト攻勢」という)を行った。彼らの蜂起を予想していた米軍、南ベトナム軍などが直ちに反撃し、ベトナム全域で激戦が展開された。

カ. 大韓民国軍のうち海兵第2旅団青龍部隊(以下「海兵第2旅団」という)がチュライ(Chu Lai)地域の兵力をホイアン(Hội An)地域に転換配置する飛竜作戦を終了した直後の1968年1月30日、北ベトナム軍は休戦約定を破って大規模攻勢を計画、北側に進撃してホイアン、ディエンバンなどを占領し、ダナンを攻撃することが予想された。

キ.  これに対して海兵第2旅団は戦術責任地域であるクァンナム省一帯[ヒエウニョン(Hiếu Nhơn)、ディエンバンの大部分、ズイスエン]にわたってテト攻撃を展開する北ベトナム軍と解放戦線の攻撃を防御した後に撃退し、逃走したり散り散りになった相手軍の残余兵力を捜索して殲滅する怪竜1号作戦を行った。怪竜1号作戦は1968年1月30日から同年2月29日まで行われたが、海兵第2旅団はその過程で米軍と連携したナットクラッカー(Nut Cracker)作戦を展開し、民間人を居住していた村から疎開させて収容施設に移動し、村に隠れた解放戦線を探索する真空作戦を展開した。

ク.  原告は大韓民国海兵第2旅団第1大隊第1中隊(以下「本件1中隊」という)所属の軍人らが1968年2月12日に故意に民間人である原告と原告の兄Cを銃撃して傷害を加え、原告のその余の家族らを殺害したと主張し、2020年4月21日、被告に対して国家賠償責任を求める本件訴を提起した。

   [認定根拠]争いない事実、甲第10、11、16、30、33、42号証、弁論の全趣旨


2. 本案前の抗弁に対する判断

ア. 本案前の抗弁

1) 1965年9月5日に韓国とベトナムの間で締結された韓越軍事実務約定書第19条は国軍によって発生したベトナム国民の被害は韓国とベトナム両国間の交渉によって補償すると定めているところ、上記約定は本件の訴のようにベトナム国民が直接大韓民国裁判所に訴を提起することを排除するものである。

2) また、韓米軍事実務約定書第15条による韓米補充実務約定書は「駐越韓国軍に対して提起される非戦闘行為による損害賠償請求事件は駐越韓国軍訴請事務所を通じて解決し、支払保証は米国がする」とし、「駐越韓国軍の戦闘準備、戦闘作戦、戦闘後復帰中に発生したベトナム政府や個人の損害に関する事件である戦闘訴請事件は訴請事件が発生した場所の洞長、郡守、省長に依頼」して解決するとしている。

3) 上記の約定に基づく政府間の協議手続によらず、当時のベトナム国民である原告が大韓民国裁判所に提起した本件訴は不適法である。

イ. 判断

1) 乙第1、2号証の各記載によれば、次の事実が認められる。

① 韓越軍事実務約定書は1965年9月5日、大韓民国F陸軍少将と南ベトナムのG陸軍少将の間で締結され、その翌日に締結された韓米軍事実務約定書も大韓民国F陸軍少将とアメリカのH陸軍少将との間で締結された。また、韓米補充実務約定書はベトナム駐在米軍事援助司令部参謀長だったHと大韓民国軍司令部副司令官であるIにより締結された。

② 韓越軍事実務約定書第19条は、「韓国軍要員により加えられたベトナム共和国政府又は国民の物資及び人命被害の補償に関する事項は、韓越両国政府当局間における別途の交渉による」と定めている。 

③ 韓米軍事実務約定書第15条は「戦闘又は非戦闘活動時、韓国軍が加えたベトナム政府や個人の財産及び人命被害の補償は別途約定書による」とし、これによる韓米補充実務約定書第1、3条は「駐越韓国軍に対して提起される非戦闘行為による損害賠償請求事件は駐越韓国軍訴請事務所を通じて解決し、支払保証は米国が行う」としており、韓米補充実務約定書附属書A第4、5条は「駐越韓国軍の戦闘準備、戦闘作戦、戦闘後復帰中に発生したベトナム政府や個人の損害に関する事件である戦闘訴請事件は訴請事件が発生した場所の洞長、郡守、省長に依頼」して解決するよう定めている(以下、総称して「本件実務約定書等」という)。 

2) しかし、本件実務約定書等は次のような理由で韓国とベトナム、韓国とアメリ カの軍事当局間で締結された機関間の合意に過ぎず、大韓民国が締結した条約とは言えず、ベトナム国民個人である原告の大韓民国に対する請求権を排除する法的効力を有するとは言えない。 

① 憲法第73条は大統領を条約締結権者と定め、条約法に関するウィーン条 約第7条は国家元首、政府首班及び外務部長官、外交公館長又は国際機関に派遣された国家の代表等以外では、適切な全権委任状を提示する場合にのみ条約に対する国家の羈束的同意を表示できる国家の代表者として認めている。すなわち、条約は一定の範囲の国家の代表(または代表資格を委任された者)によってのみ有効に締結することができる。 

ところが韓越軍事実務約定書と韓米軍事実務約定書、韓米補充実務約 定書を締結した当事者らが条約を締結する正当な権限を有する者であることを認める根拠がない(条約締結権者ではなく、彼らが本件実務約定書等締結当時に全権委任状を提示したという事情も見出だせない)。そうであれば、本件実務約定書等は3国の軍事実務に関する機関の間の合意に過ぎず、条約として効力を有するとは言えない。実際、本件実務約定書等は外交部の条約目録の中にも発見されない。

② 韓米補充実務約定書附属書A第4条及び第5条が韓国軍によるベトナム民間人被害に関する戦闘訴請事件は訴請事件が発生した場所の洞長、郡守、省長に依頼して解決するように定めたのは韓米間でなされた合意であるから、ベトナム国民に対して直接拘束力を持つとは言えない。 

③ 韓越軍事実務約定書第19条はベトナム民間人被害者に対する補償に関する事項を韓越両国政府当局間の別途の交渉によるものとすると定めているが、その後続措置として別途の具体的な協商及び合意がなされたと見られる事情も見出しがたい。

3) 韓越軍事実務約定書をはじめ、本件実務約定書等のみによりベトナム政府が自国民被害者の損害賠償請求権を放棄したり、国家間合意による賠償方式以外に被害者が直接大韓民国裁判所に訴訟を提起する権利を放棄したとは言えない。 

したがって、被告のこの部分の本案前の抗弁はこれを受け容れない。 

ウ. 国家賠償法第7条による相互保証の有無に関する判断

1) 被告は国家賠償法第7条が外国人の国家賠償請求権の発生要件として「外国人が被害者である場合には当該国家と相互保証があること」を要求しているから、ベトナムの法令、判例などを通じて国家賠償請求権発生要件を比較し、被告大韓民国とベトナムの間に上記相互保証が存在するか否かを検討すべきであり、相互保証が認められなければ本件訴は却下すべきだと主張する。 

2) 国家賠償法第7条は大韓民国のみが被る可能性のある不利益を防止し、国際関係における公平を図るために、外国人の国家賠償請求権の発生要件として「外国人が被害者である場合には、当該国家と相互保証があること」を要求しているが、当該国家で外国人に対する国家賠償請求権の発生要件が大韓民国のそれと同一またはむしろ幅広いものであることを要求することは過度に外国人の国家賠償請求権を制限する結果となり、国際的な交流が頻繁な今日の現実に合わないだけでなく、外国における大韓民国国民に対する保護を拒否させる不合理な結果をもたらす可能性がある点を考慮すると、大韓民国と外国との間に国家賠償請求権の発生要件が著しく均衡を欠くことがなく、外国で定めた要件が大韓民国で定めたものより全体として過重ではなく、重要な点で実質的にほとんど差がない程度であれば国家賠償法第7条が定める相互保証の要件を備えたと言うのが妥当である。そして相互保証は外国の法令、判例及び慣例等により発生要件を比較して認めれば十分であり、必ず当事国との条約が締結されている必要はなく、当該外国で具体的に大韓民国国民に国家賠償請求を認めた事例がなくとも、実際に認められるであろうと期待できる状態であれば十分である(大法院 2015年6月11日宣告 2013다 208388 判決参照)。 

3) ベトナム民法第598条は「国家は国家賠償責任法により公務執行者(法執行者)により発生した損害を賠償しなければならない」と定め、ベトナム国家賠償責任法第2条及び第3条は「公務遂行者により物質的被害を受け、または精神的苦痛を被っている個人や組織が賠償を受けることができる」と定め、賠償を受けることができる個人を内外国人で区別していない[当該条文の英文、韓文および原文は別紙1目録第1、2項記載の通り]。その上、ベトナム憲法はベトナムに居住する外国人に対してベトナムの法律により生命、財産及び正当な権利、利益の保護を受けることを明示しており(ベトナム憲法第30条、第48条)、ベトナム民事訴訟法第465条、行政訴訟法第299条は外国人に対して訴訟手続に参加するときベトナム市民と同一の権利義務を有するとして手続上の権利と義務を保障している。[当該条文の英文、韓文及び原文は別紙1目録3ないし5記載の通り]。

4) 上記のようにベトナム民法と国家賠償責任法上の国家賠償請求権の発生要 件が大韓民国国家賠償法のそれと大きく異ならないから、大韓民国国民にも国家賠償請求を認めると期待できる状態であると言うことができる。

したがって、大韓民国とベトナムの間に国家賠償法第7条で定める相互保証を認めることができる。 


3. 準拠法の決定 

ア. 当事者の主張の要旨

原告は大韓民国国軍が1968年2月12日、ベトナム戦争中、故意に民間人である原告と原告の兄(C)を銃撃して傷害を加え、原告のその余の家族を殺害したと主張して、被告に対して国家賠償を求める本件訴を提起した。 

原告は本件法律関係と最も密接な関連があるのは大韓民国国家賠償法であ るから国際私法第8条第1項によりその準拠法として大韓民国国家賠償法が適用されるべきであると主張する。一方被告は原告が主張する不法行為がなされた不法行為地はベトナムのフォンニィ地域であり、当時南ベトナム政府が統治していたので、国際私法第32条第1項により本件の準拠法はその当時施行されていた南ベトナム法になるべきであると主張する。 

イ. 準拠法指定の原則と例外 

1) 2022年1月4日法律第18670号により全部改正され、2022年7月5日に施行された国際私法附則第3条(準拠法適用に関する経過措置)は、「この法律施行前に生じた事項に適用される準拠法については従前の規定による」と定めているので、本件には上記改正前国際私法(以下「改正前国際私法」という。)第8条と第32条が適用される。 

2) 不法行為に関する準拠法について、改正前国際私法第32条は第1項で「不法行為はその行為が行われた所の法による。」、第2項で「不法行為が行われた当時同一の国家内に加害者と被害者の常居所がある場合には第1項の規定にかかわらずその国家の法による。」第3項で「加害者と被害者の間に存在する法律関係が不法行為により侵害される場合には、第1項及び第2項の規定にかかわらず、その法律関係の準拠法による。」と各定める。第33条は準拠法に関する事後的合意について、「当事者は第32条の規定にかかわらず不法行為が発生した後、合意により大韓民国法を準拠法として選択することができる。 ただし、それにより第三者の権利に影響を及ぼさない」と定める。 

これらの規定によれば、改正前の国際私法は不法行為地原則を採用してはいるが(現行国際私法第52条も同様である)、準拠法の事後的合意(第33条)が最も優先し、その次が従属的連結 (第32条第3項)、その次が共通の属人法(第32条第2項)であり、このような特則が適用されない場合に不法行為地原則(第32条第1項)が適用される。 

3) 一方、改正前国際私法第8条第1項は「国際私法により指定された準拠法が当該法律関係と僅かな関連があるのみで、その法律関係と最も密接な関連がある他国の法が明白に存在する場合には、その他国の法によらなければならない」と定めて準拠法指定の例外を認めている。

ウ. 本件に適用される準拠法 

1) 本件の場合、不法行為に関する従属的連結(第32条第3項)や共通の属人 法(第32条第2項)が適用される余地はないので、不法行為地原則 (第32条第1項)、準拠法指定の例外(第8条第1項)、準拠法の事後的合意(第33条)に関して、本件に適用される準拠法を判断する。 

2) 次のような事情を総合すれば、本件法律関係と最も密接な関連がある法は大韓民国国家賠償法であると言えるから、被害者の準拠法選択ないし両当事者間の準拠法についての事後的合意により大韓民国国家賠償法を準拠法として本件の不法行為の成否及び被告の国家賠償責任の認定の可否等を判断すべきである。 

① 国際私法のすべての準拠法連結原則は当該事案と最も密接な関連を有する法を指定することである。国際私法条項を適用した結果が具体的な事件においてそのような原則に符合しない場合が発生する可能性があり、この場合に備えて具体的な事案において国際私法の目指す正しい連結原則を実現するために準拠法指定に対する一般的例外規定として第8条第1項を置いている。 

② 改正前国際私法は不法行為の準拠法について不法行為地原則を維持しつつ、常居所を基準とする共通の属人法(第32条第2項)、従属的連結(第32条第3項)と準拠法の事後的合意(第33条)等により不法行為地原則を多少緩和しているに過ぎず、不法行為の多様な類型別にそれに対する特則を置いてはいないので、例外条項を活用することにより適切な結論を導く必要がある。 

③ 不法行為の準拠法は不法行為の成立と効果を規律する。したがって不法 行為能力、違法性、因果関係、帰責事由、損害賠償請求権者、共同不法行為者間の求償権、損害賠償の方法と種類、範囲、金額はもちろん、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効なども準拠法によって規律される。 

④ 原告は本件1中隊所属軍人がベトナム戦争において作戦遂行中に故意にベトナム民間人である原告らを銃撃して傷害を与え、その家族らを殺害したことが不法行為であると主張し、被告に対して国家賠償責任を主張している。本件1中隊所属軍人らは大韓民国国民として、大韓民国政府がベトナムに派兵したものであり、命令によってベトナムで一連の作戦を遂行中であった。 

本件1中隊所属軍人らがベトナムにおいて軍事作戦の遂行中、法令に違反して他人に損害を与えた場合、その軍人が所属した被告に対して国家賠償責任を問うためには、大韓民国の国家賠償法が最も有効、適切な法律関係を規律していると言うことができる。大韓民国国家賠償法は国家(大韓民国)や地方自治団体の公務員が職務の執行中に故意または過失により法令に違反して他人に損害を与えた場合、その損害賠償責任と賠償手続を規定することを目的とする(第1、2条)、その不法行為が発生した場所が内国なのか外国なのかを区別しない。その上、外国人が被害者である場合、当該国家との相互保証があれば、内国人と異なることなくその適用対象としている(第7条)。 

⑤ 改正前国際私法が不法行為地原則をとる理由は、不法行為が行われた社 会的条件を考慮し、そこでの法意識を基準として判断して処理するのが一般的に国内法を適用して処理するより公平の見地から合理的かつ実際的と言えるし、そうすることが当事者の期待にも合致するためである(大法院1979年11月13日宣告78다1343判決参照)。本件で不法行為が行われたのはベトナムであり、そこでの法意識(当時の当該地域の政府状況によれば「南ベトナム法」となり、現在の状況を基準とすると「ベトナム法」となる)を基準として判断、処理することも考えられるが、これは被害者である原告の利益を考慮したものとなりうる。ところが原告は自ら(南)ベトナム法適用による利益を放棄し、大韓民国法を準拠法として主張しているので、特別な事情がない限り被害者のこうした準拠法選択を尊重するのが妥当である。 

⑥ 本件において不法行為地法による場合に適用されるものと見られる南ベトナム法については原告と被告のいずれもいかなる資料も出していない。裁判所が職権調査を尽くしても外国法が明確でない場合、これを理由に裁判を拒否することはできず、法源に関する民事上の大原則に従い外国慣習法よって、外国慣習法も確認が不可能な場合には条理によって裁判するしかないが(大法院2000年6月9日宣告98다35037判決など参照)、このような条理の内容が現行ベトナム国家賠償責任法や大韓民国の国家賠償法が定めているものと大きな差異があるとは言えない。 

⑦ 国際私法は不法行為に起因する損害賠償請求権を含む法定債権全般に 関して当事者間の事後的合意により大韓民国法(法廷地法)を準拠法として選択できるようにしており(第33条)、このような合意がある場合、その合意が最も優先される。このような事後的合意は必ずしも明示的に行われなければならないものではなく、黙示的に行うこともできる。 

原告と被告は本件訴訟で不法行為ないし国家賠償責任の成否についてはもちろん、不法行為に起因した損害賠償請求権の消滅時効完成の成否についても争っており、大韓民国法が適用されることを前提に主張しているが(被告は原告の損害賠償請求権に対する消滅時効について大韓民国国家賠償法が適用されることを前提に長期5年、短期3年の消滅時効を主張している)、原告と被告のこうした態度と立場は事後的合意として「大韓民国法」を準拠法として選択したものと見ることもできる。 


4. 本案に対する判断 

ア. 当事者の主張の要旨

1) 原告 

ア) 本件1中隊所属姓名不詳の軍人らが 1968年2月12日、ベトナムのクアンナム省ディエンバン県タンフォン社フォンニィ村で故意に民間人である原告に銃撃を加え、腹部に深刻な傷害を与え、原告の他の家族を殺害し、または傷害を与えた。 

イ) 被告所属軍人らが故意に銃撃を加えて原告と原告の他の家族を殺したり傷害を与える行為をすることにより人間の尊厳性を毀損し生命と身体を侵害する行為を行ったため、被告はこれにより原告が被った精神的損害を賠償する義務がある。 

2) 被告

ア) 原告が本件の加害者が大韓民国軍であるとする大部分の根拠は被害者側の陳述であるが、これらの陳述だけでは加害者が大韓民国軍であることが証明されたとは言えない。むしろベトナム戦争当時、北韓訳注[2]軍心理戦要員らは海兵第2旅団を含む大韓民国軍に対して様々な心理戦活動を行い、解放戦線と協力して活動もした。本件は北ベトナム軍、解放戦線、そして北韓軍が介入した事件である可能性を排除できず、村の住民さえ加害軍が北ベトナム軍と思っており、加害軍が大韓民国軍と特定されたとは言えない。 

イ) たとえこの事件が大韓民国軍によって起こされたものであったとしても、原告と原告の家族をはじめとするフォンニィ村の住民らを解放戦線やそれに協力する者と誤認するだけの正当な事情がある状況において交戦中に発生した戦闘行為や事故に該当し、正当行為と言わねばならない。

ウ) 原告の損害賠償請求権が認められるとしても、すでに長い時間が経過して消滅時効が完成し消滅した。

イ. 国家賠償責任の成否に関する判断

1) 認定事実

甲第10、11、13、14、16、18、21、22、23、25ないし30、44、45号証(枝番号のあるものは枝番号を含む)、証人J、Kの各証言、原告に対する当事者本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。 

ア) 大韓民国海兵第2旅団第1大隊本件1中隊所属軍人らは1968年2月12日8:00~10:30頃、中隊基地を出発し、1号国道を北に移動してCAP D-2地点付近に到着し、続いて1号国道のCAP D-2地点とCAP D-1地点との間の地点(フォンニィ村の東側地点)に到着した後、1号国道を外れて西方向に移動した。 

イ) 本件1中隊が上記のように西方向に移動中の10:30~11:30頃、フォンニィ村を通過しているときに北西方向から数十発の狙撃を受け、その過程で負傷者1名が発生し、同じ時刻に1号国道側では共に作戦を遂行していた米軍の装甲車(LVT)1台も地雷で破損した。 

ウ) 狙撃を受けた後、本件1中隊は10:30~15:00の間にフォンニィ、フォンニ ャット村一帯で捜索作戦を行ったが、本件1中隊の一部(先頭にいた1、2小隊と推定される) は村を捜索して家に隠れていた住民ら(主に女性、老人と子供たちだった)を引き出して数ヶ所の空き地に集めた後、後方に引き継ぎ、予定された作戦計画に従って西にあるSuoi Co Ca(江)まで進撃して防御線を構築し、同じ時刻に中隊本部とともに後方にいた一部の部隊員(3小隊と推定される)は集まっていた住民たちに銃撃を加え、フォンニャットとフォンニィ村一帯を捜索しながら住民らに銃撃を加えて家を焼き払った。 

エ) 当時原告の家には叔母L(1936年生まれ、32歳)、叔母の息子M(1967 年生まれ、本件銃撃当時生後9-10ヶ月程度だった)、兄C(1953年生まれ、15歳)、姉D(1957年生まれ、11歳)、原告(8歳)、弟E(1963年生まれ、6歳)、そして遊びに来ていた隣家の子供(12歳)など7人が家にいたが、何の武装もしていなかった。彼らは周囲で起こる銃声を聞いてその家にある防空壕に入って隠れていた。原告の母B(1934年生まれ、34歳)は当時外出中でそこにいなかった。 

オ) 本件1中隊所属の軍人らは原告の家に来て手榴弾と銃で脅し、原告家族らに防空壕から外に出るよう命令し、原告家族らが順に防空壕の外に出ると現場ですぐに銃撃を加え、原告の家を焼き払い(その過程で原告の従弟を抱いていた原告の叔母がこれを止めると銃剣で彼女を刺した)、その後別の場所に移動した。

そのため、原告の叔母、原告の従弟(叔母の息子)、原告の姉、原告の弟、隣家の子は現場で死亡し、原告は腹部に、原告の兄(C)は腹部と臀部にそれぞれ銃撃による深刻な負傷を負ったが死にはしなかった。 

カ) 原告の母Bは外出中だったが、本件1中隊所属の軍人が強制的に原告 の母を他の住民ら(大部分が女性と子供たちだった)10余名と共に一箇所に集めておいて銃で射殺した。 

キ) 原告と兄(C)は隣家に逃げて隠れていたが、原告は再び母親を探しに 出て行って気を失って倒れた。同日15:00頃以降、CAP D-2連合作戦小隊は民兵隊員と共に巡察隊を組織してフォンニィ村に進入し、村人と共に生存者を救助し、死体を集めた。連合作戦小隊所属小隊員(N上等兵)が事件現場を撮影した。原告と原告の兄は救助され、ヘリコプターで病院に送られ、何回も手術と治療を受けた。 

2) 国家賠償責任の成立 

上記認定事実によると、大韓民国国籍の本件1中隊所属姓名不詳の軍人が家の内部の防空壕に武装せずに隠れていた原告の叔母、幼い年齢の原告と姉、兄、弟などを外に出させた直後に銃で撃ったり刃物で刺し、原告と原告の兄(C)を除く残りの原告の家族(叔母、姉、弟、従弟)をすべて殺し、原告と原告の兄に傷害を加えた事、また原告の母を他の住民と共に一箇所に集めておいてその場で射殺した行為は正当な事由なく人間の尊厳性を毀損して生命と身体を侵害する行為として明らかな不法行為に該当する。したがって、被告はこれによって原告が被った精神的損害を原告に賠償する責任がある。 

ウ.  被告の主張に対する関する判断 

1) 国軍の服装をした解放戦線や北韓軍の所行であるとの主張に関する判断 

ア) 被告は、「リンソン寺事件」のように、ベトナム戦争当時解放戦線が大韓民国軍に偽装して民間人を虐殺した事例があり、本件も大韓民国軍に変装した解放戦線の所行か北韓軍の所行かもしれないという趣旨の主張をする。 

イ) 乙第3ないし8号証の各記載によれば次の事実ないし事情が認められる。 

① 1969年10月に発生したいわゆる「リンソン寺」事件について、大韓民国 軍がベトナム戦争中にリンソン寺の僧侶たちを殺害したものとされていたが、その後韓越合同捜査を通じて解放戦線が犯した後で大韓民国軍が犯したように偽装したものであることが明らかにされ、1969年~1971年、国内メディアに報道された。 

② 派越韓国軍戦史(甲第10号証の2、第4巻75頁)には1968年2月2日、海兵第2旅団第25中隊が Quang Loc Dong村(1) - Phong Ho村(2)(フォンニィ村から約3km離れた所である)を捜索し、我軍の服装で偽装した6人の敵(解放戦線)を発見し、接戦の末に射殺したという記録がある。 

③ 大韓民国軍1968年2月1日付諜報報告には「北韓軍1個小隊がクアンナム省ディエンバン郡エブイ25大隊と協力して韓国軍CPと部隊に浸透潜伏および暗殺企図」という内容があるなど、ベトナム戦争当時北韓軍が心理戦要員などを派遣するなどによって参戦したことを推測する資料がある。 

ウ) しかし、前掲証拠によって認められる次のような事情ないし事実に照らせば、本件原告と原告の家族らに対する殺傷行為は本件1中隊所属の軍人が犯したものであることが分かる。

① 当時事件を直接経験した生存者で本件1中隊が加害者であったことを陳述している者としては、家族らと共に家の防空護に避難していて本件1中隊に見つかり、現場で銃撃を受けて重傷を負い救助された原告と原告の兄Cをはじめ、当時現場で連合小隊により救助された「O」と「P」(甲第16号証の1、2)、「Q」(甲第28号証の1~2) などがあり、彼らはすべて自分を攻撃した人々が大韓民国軍であったことを共通して陳述している。彼らは至近距離で加害者を直接見ており、原告(当時8歳)を除いた他の人々はすべて15歳以上で自分たちが直接見た加害者が大韓民国軍であることを十分に見分けることができた。特にCは事件が起こる前に何回か大韓民国軍を見たことがあり、事件当日の午前にも家の前を通る大韓民国軍を見たという点などを考慮すれば、これらの生存者たちの陳述は信憑性がある。 

② 目撃者で本件1中隊が加害者であったことを陳述している者として、1号国道近くのCAP D-2に駐屯していた連合小隊員で、1号国道で本件1中隊がフォンニィ村を攻撃する場面を見届けたR中尉、S下士、N上等兵、T、U(甲第16号証)、南ベトナム農村開発団所属で無線で韓国軍がフォンニャットとフォンニィ村を攻撃しているという知らせを聞いて移動し、1号国道で本件1中隊がフォンニィ村を攻撃する場面を見届けた「K」(証人Kの証言)などがあるが、彼らもすべて当時フォンニィ村を攻撃した軍人が大韓民国軍だったことを共通して陳述している。 

特に連合作戦小隊のR中尉はフォンニィ村が攻撃されているとき、フォンニィ村を攻撃している軍隊が大韓民国軍なのかをより確実に確かめるために韓国軍旅団火力支援協助本部に連絡し、フォンニィ村の南地域にある水田付近に対する81mm迫撃砲任務に関する座標確認を要請したが、大韓民国軍がその地域で作戦中であるという理由で座標確認を拒絶され、フォンニィ村進入許可もやはり大韓民国軍が作戦中であるという理由で拒絶された(甲第16号証の1~2中のR中尉の陳述書)。 これはフォンニィ村が攻撃されていた時間に本件1中隊の一部の部隊がフォンニィ村にいたことを明確に示している。 

③ 本件1中隊員で加害者が本件1中隊だったと陳述している者としては1小隊長V(甲第13号証、甲第21号証の1~4)、2小隊長W(甲第13号証)、3小隊長X(甲第13号証)、2小隊員J(甲第22号証、証人Jの証言)、2小隊員Y(甲第23号証)などがある。彼らはいずれも本件1中隊所属軍人らの一部が1968年2月12日の作戦当時に村の住民を射殺したと共通して陳述している。 

特に1小隊長Vと2小隊長Wは共通して、狙撃を受けた後に村に進入して捜索して発見した住民を引き出し、後尾小隊に引継いで前進を続けていたが、後ろから銃声が起きるのを聞き、その銃声が後尾小隊が引継ぎを受けた住民たちに銃撃を加える音であることが分かったと述べ、さらに2小隊長Wは付近で住民たちがその前日に殺害された遺体を道路脇に並べて大韓民国軍を恨めしそうな視線で見つめるのを見て、その前日の夕方に聞いた通り後方に引き継いだ住民たちを後尾小隊が銃撃したということが事実だと確認できたと述べた。2小隊員Jはフォンニィ事件が発生した翌日の1968年2月13日午前に1号国道を偵察するとき、フォンニィ村付近で住民がその前日に殺害された遺体を並べたのを見て、中隊基地に復帰した後、他の小隊員からその前日の作戦時に中隊長の命令により村の住民を攻撃したという話を聞いたと陳述している。

上のような本件1中隊員らの陳述は、事件現場に最も近くにいた者として自分の経験を粉飾する理由を見い出しがたいという点で信憑性が非常に高い。

④ 本件1中隊が1968年2月12日にフォンニィとフォンニャット村一帯で作戦を展開したとき、米海兵隊連絡兵である「Z一等兵」と「aa一等兵」が同行したが、aa一等兵は1968年2月12日の作戦当時中隊長の命令により本件1中隊が村を攻撃し、村を攻撃した部隊は本件1中隊全体ではなく、1つの小隊(the platoon)だったと陳述している(甲第16号証の1~2)。Z一等兵とaa一等兵は本件1中隊が攻撃した村の名前に具体的に言及していないが、彼らが描写している本件1中隊によって攻撃された村の様子は連合小隊員N上等兵が大韓民国軍によって攻撃されたフォンニィ村の様子を撮影した写真・説明と似ており、彼らが描写している本件1中隊が攻撃した村がフォンニィ村だったことが分かる。 

⑤ 事件発生後この事件を調査した憲兵隊捜査係長は、韓国軍が村の横 を通過したところ狙撃を受け、味方が倒れるとすぐに村を包囲して攻撃し、村の住民が集団虐殺されたが、上部の指示により韓国軍に偽装したベトコンが行ったものとして事件を隠蔽した」とマスコミインタビューで述べたが(甲第18号証)、上記陳述も本件の加害者が本件1中隊であることを強く裏付ける。 

⑥ 被告は、派越韓国軍戦史は公式記録であって信憑性が非常に高いが、派越韓国軍戦史の1968年2月12日作戦状況に関する記録中には本件1中隊がフォンニィ村を攻撃したという内容がないので、本件1中隊が フォンニィ事件に介入しなかったことが証明されると主張する。 


第1中隊(長、bb大尉)は08:15に1号道路を偵察しながら北進してPhong Nhut村に進入し、攻撃方向を西に転換することになった。こうして11:05に中隊の先頭部隊は目標(11)を攻撃したが、この時西地域から30余発の敵射撃を受け、4.2インチ迫撃砲で発射地点を砲撃して制圧することができたが、中隊は負傷者1人が発生して後送した。

同じ時刻に中隊の後続部隊は、米軍LVT1台が1号道路上で「ブビートラップ」に接触し、これに搭乗していた米軍1名が負傷し、車体を大きく破損する事故が発生したため、第1小隊(長、V中尉)にこれを警備させた。こうして中隊は第2、3小隊だけで目標(12)~(13)を攻撃し、接敵することなく探索した後、Suoi Co Ca(江)西岸の村Phong Nhut(2)の有力な地形に沿って南北に兵力を散開させ、第2、第7中隊と共に協調する地域に対する遮断任務を遂行した。中隊はこのとき川の対岸から射撃を受け、さらに負傷者1名を出し、13:10フォンニャット村(2)を占領して急編防禦を実施して夜を過ごした

 被告の主張のように、派越韓国軍戦史は本件1中隊が事件当日1号国道に沿って北進し、作戦地域であるSuoi Co Ca(江)河畔の方に行くために方向を西に転換して「Phong Nhi」(フォンニィ村) ではなく「Phong Nhut」(フォンニャット村)に進入し、攻撃方向を「西」に転換することになり、こうして11:05に中隊の先頭部隊は「目標(11)」を攻撃したと記載している。

ところが、本件1中隊が1号国道から作戦地域であるSuoi Co Ca(江)河畔の方に行くために方向を西に転換して「Phong Nhi」(フォンニィ村)に進入した事実は別紙2「派越韓国軍戦史付図怪竜1号作戦経過要図」(甲第11号証)で明確に確認される。別紙2図面には1号国道、フォンニィ村、フォンニャット村(1)、フォンニャット村(2)、Suoi Co Ca(江)の位置と1968年 2月12日の作戦当時の本件1中隊の動線が表示されている。1968年2月12日当時、本件1中隊が目標(11)すなわちPhong Nhi(フォンニィ村)地域をまず通過し、その後目標(12)、(13)、すなわちフォンニャット村(2)を通過してSuoi Co Ca(江)まで進撃した事実を示しているからである。

特に怪竜1号作戦経過要図によると「Phong Nhut」という地名はなく、「Phong Nhut(1)」と「Phong Nhut(2)」という地名が存在するだけであるが、このように同じ名前の地名が(1)と(2)で区分された場合、正確性を期する軍事記録では地名を「Phong Nhut(1)」と「Phong Nhut(2)」と明確に特定して記録することになる。実際に派越韓国軍戦史は本件1中隊の1968年2月12日作戦状況を記録し、「Suoi CO Ca(江) 西岸の村Phong Nhut(2)の有力な地形に沿って南北に兵力を散開させ、第2、第7中隊と共に協調する地域に対する遮断任務を遂行した」と記録し、地名を 「Phong Nhut(2)」と明確に特定し記録している。こうした点に照らせば、派越韓国軍戦史が本件1中隊が1号国道を離れて進入した村の地名についてPhong Nhut(1)またはPhong Nhut(2)と特定して記録せず、上記の経過要図上に存在しない地名である「Phong Nhut」と記録したのは非常に異例に見える。さらに、上記経過要図によると、「目標(11)」は「Phong Nhut(1)」と「Phong Nhut(2)」、すなわちPhong Nhutと呼ばれる村の東側に位置していることが明らかであるが、そうであれば派越韓国軍戦史が記録している「1号道路を偵察しながら北進してPhong Nhut村に進入し、攻撃方向を西に転換することになった。こうして11.05に中隊の先頭部隊は目標(11)を攻撃した」という内容は辻褄が合わない記述内容になることが分かる。 このような点に照らせば、派越韓国軍戦史は本件1中隊が当時Phong Nhi(フォンニィ村)に進入した事実を隠すために意図的に「Phong Nhi」という地名を「Phong Nhut」と記録したという疑いが生じる。 

その上、派越韓国軍戦史は国防部が編纂した公式記録であるという点に照らせば、民間人殺害のような戦争犯罪について事実のままに記録する可能性は低いと思われる。特にフォンニィ事件についてはすでに1968年に当時の駐越韓国軍司令官(チェ・ミョンシン将軍)の公式書簡を通じて「韓国軍に変装したベトコンの所行」という見解を表明したので、それから4年後に編纂された派越韓国軍戦史はこうした公式見解に合わせて記述された可能性が高い。実際、派越韓国軍戦史に記録されている1968年2月12日当時、本件1中隊の作戦状況に関連して一部事実をまったく遺漏したり、虚偽を記載するなど(戦闘詳報は本件1中隊が1968年2月12日、遮断任務の展開中に撤収し中隊基地に復帰したと記録しており、当時作戦に参加した2小隊員Jも遮断任務の遂行中に突然命令が下って撤収して中隊基地に復帰したと述べた。特に「戦闘詳報」は本件1中隊だけでなく、同じ1大隊所属で連合して遮断作戦を展開していた「2中隊」と「7中隊」も命令によって撤収したと記録しているが、派越韓国軍戦史はこの本件1中隊がまるで元来の作戦計画どおりに遮断任務を遂行し続けて一晩駐屯していたかのように記録しており、虚偽記載の疑いが生じる)、その当時の状況を隠蔽しようとした状況が見られるので、派越韓国軍戦史に本件1中隊がフォンニィ村を攻撃したという内容がないという点を挙げて、本件1中隊がフォンニィ事件の加害者ではないことが明らかであるという被告の上記主張は受け容れがたい。 

⑦ 被告はccの「フォンニィ村を攻撃したのはベトミン軍(解放戦線)だと聞いた」という陳述内容(甲第29号証の1~2、甲第41号証)がフォンニィ村を攻撃した軍人らは大韓民国軍に偽装した解放戦線だったことを裏付けると主張する。

しかし本件発生当時、ccは自ら明らかにしているように、「銃声を聞いて自分の家にある防空壕に避難し、事件が終わった後に防空壕の外に出た」と述べている(甲第41号証)。彼はこの事件を目撃しなかった。これについてccは「フォンニィ村を攻撃したのはベトミン軍だ」という話も他の人から聞いたものだと漠然と陳述し、それさえも誰から聞いたのかよく分からないと言っており、上記の陳述は信憑性が低い。 

⑧ 駐越米軍監察報告書(甲第16号証の1、2)は、本件に大韓民国軍が関 与したかについて「5. 結論:なし」と明示し、原告が主張する大韓民国軍の虐殺事実を認めていないが、その報告書の一部の内容に基づいて大韓民国軍が戦争犯罪を犯したと主張することは不当だという趣旨を主張する。

駐越米軍監察報告は大韓民国軍による民間人虐殺疑惑が提起された諸事件に関する多様な資料を収集、分析、整理して情報を提供するためのものと見られ、具体的な結論を提示していないことが本件の実体に決定的な影響を与えるとは言えず、ひいては先に①~⑥で見たような事情と提出された証拠により十分に大韓民国軍の本件関与の事実を認めることができる。 

エ) したがって被告の上記の主張はこれを受け容れない。 

2) 敵との交戦中に発生した戦闘行為や事故であって正当行為であるという主張に対する判断 

ア) 被告は原告とその家族を始めとする本件被害者らが解放戦線ないしその同調勢力であった可能性があり、交戦中に発生した戦闘行為や事故により殺傷されたものであるから、正当行為に該当するという趣旨を主張する。

① 被告が提出している学術論文(乙第7号証、「ベトナム戦争中の韓国軍青龍旅団の怪竜1号作戦に関する研究:フォンニャット-フォンニィ良民虐殺事件を中心に」)によると、まずフォンニャット村とフォンニィ村は解放戦線が活発に活動していた場所、または少なくとも北ベトナムと南ベトナムに従った住民たちが混在した場所と評価されており、上記学術論文で引用しているディエンバン県ディエンアン社公式党史に掲載されたベトナム戦(抗米救国戦争)期間作戦状況図を見ると、フォンニィ村とフォンニャット村が北ベトナム、解放戦線の戦闘村として表示され、秘密地下避難所がフォンニィ村とフォンニャット村に各1ヶ所ずつ運営されたものとされているという。

② ベトナム戦当時の将校の参戦状況に関する回想文(乙第13号証)中、1968年7月27日 「フォンニィ村捜索作戦」の内容には国軍の捜索作戦前日の明け方にフォンニィ村から8人の解放戦線が脱出し、フォンニィ村に解放戦線地下組織があり、捜索中に解放戦線の少女2人を逮捕したという内容が出て来る。 

イ) しかし、上記の学術論文に紹介されたディエンバン県ディエンアン社公式 党史に掲載されたベトナム戦期間作戦状況図が正確にどの時期の状況を表示したものか明確ではなく(戦争が進行する様相と時間の経過により、当該村の状況的変化が十分にありうる)、ベトナム戦参戦将校の回想文はこの事件と約5ヶ月以上差があるという点で、上記のような事情ないし事実を始め、提出された証拠だけで本件1中隊所属の軍人らが1968年2月12日にフォンニィ村で作戦を遂行する当時、原告と原告の家族らを解放戦線またはその同調勢力として扱う事由があったとか、誤認するだけの事情があったことを認めるには足りず、他に証拠がない。

その上、提出された証拠のみでは、当時防空壕にいた原告や原告の家族、親戚が武装していたとか武装したものと誤認するだけの状況があったと言うだけの事情も見出しがたい。 

ウ) 当時、本件1中隊所属軍人が1号国道から西に移動中、北西から数十発の狙撃を受け、その後フォンニィ村で捜索作戦を行ったのはその通りであるが、先にイ.の1)で挙げた証拠により認められる次のような事情ないし事実に照らし、本件1中隊所属の軍人らが原告とその家族らに銃撃を加えた行為を正当行為と言うことはできない。

① 戦争中であっても、敵対行為に能動的に参加したり参加したと疑うだけ の情況がない状態で、敵対行為をした人とこれをしなかった人を区別せずに無差別的に殺傷することが許容されると言うことはできない。これは当時解放戦線が軍服を着ない状態で民間人の服装をして戦闘行為に参加した場合があったとして正当化できるものでもない。 

② 原告の親戚であるTとKはそれぞれ南ベトナム民兵隊と農村開発団で勤務しており、実際に当時銃撃を受けた人々の中には、南ベトナム民兵隊の家族らが含まれていたと見られる点に照らして、本件1中隊所属の軍人らが村を捜索しつつ敵を索出する過程(戦闘員と非戦闘員を区別し、敵対行為に参加したかどうかを確認する過程)を経たと見るだけの事情は見出しがたい。

むしろ、先に見たように事件の生存者、目撃者、本件1中隊員、米海兵隊連絡兵の各陳述によれば、原告と原告の家族らをはじめ多数の人々が非武装状態で本件1中隊所属の軍人らから無差別に銃撃を受け、そのように銃撃を受けた人々の中には、乳幼児が多数含まれていることが分かる。 

③ 連合作戦所隊員N上等兵は事件現場を撮影する過程で死体の山の周 囲に銃穴がないことを発見したが、これは被害を受けた住民らが至近距離から銃撃されたり銃剣で刺されたことを示す(甲第16号証の1~2のうちN上等兵の陳述書)。これは当時の状況が敵との交戦状況であると言いがたいことを裏付けるものである。 

Kは当裁判所で証言し、本件1中隊所属の軍人らが原告の母親を始め10余名の住民を一箇所に集め、銃で射殺して手榴弾を投げるのを直接見たと述べ、連合作戦小隊とともにフォンニィ村に入って救護活動をしたが、その過程で深刻な負傷をした原告と原告の兄のCが救助されるのを見て、集団的に殺害された住民たちの死体の山も発見したと述べて当時の状況を具体的に証言している。 

④ 派越韓国軍戦史(甲第10号証の3)が記録している1968年2月12日 の作戦状況の内容を検討すると、第2大隊所属の6中隊が敵の洞窟2個を発見し、捜索の末に計5人の敵を射殺して武器を鹵獲した戦果を記録し、第3大隊所属の8中隊が作戦遂行中に敵と交戦し、計22人を射殺し武器を鹵獲した戦果などを記録している。

被告の主張のように本件の被害者らが本当に解放戦線ないしその同調 勢力であり、本件1中隊が交戦中に彼らを射殺したのなら、これもやはり作戦遂行中に得た戦果であり、派越韓国軍戦史にその内容を忠実に記載したであろうと思われるが、1968年2月12日の本件1中隊の作戦状況に関してはいかなる言及もされていない。これはフォンニィ村で起こった本件が敵との交戦中に発生したものではないことを推測させるものである。 

エ) したがって被告の上記の正当行為の主張もこれを受け容れない。 

エ. 被告の消滅時効の抗弁に関する判断

1) 被告の主張

原告の損害賠償請求権は不法行為日から国家財政法第96条第2項[旧予算会計法(1989年3月31日法律第4102号で全部改正される前のもの)第71条第2項]が定めた5年が過ぎたばかりか、損害賠償請求権行使が可能になった時点を原告が成年に達した時からであるとしても40年以上が過ぎ、重要証拠であると主張する主要証人らである国軍の陳述を確保した時点を基準としても2013年、2014年頃となり、米軍監察報告書の閲覧が可能になった時点を基準とすると2000年6月頃となるが、それから民法第766条第1項による3年の消滅時効期間が経過して消滅した。 

2) 関連法理

     国家賠償法第2条第1項本文前段の規定による賠償請求権は金銭の給付を目的とする国家に対する権利として国家財政法第96条第2項[旧予算会計法(1989年3月31日法律第4102号で全部改正される前のもの)第71条第2項]によりこれを5年間行使しなければ時効により消滅する(大法院2001年4月24日宣告2000다57856判決、大法院2008年3月27日宣告2006年다70929、2006年다70936判決等参照)。 

さらに、国家賠償法第2条第1項本文前段の国家賠償請求権には国家賠償法第8条により民法第766条第1項が適用されるため、国家賠償請求権は被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った日から3年間これを行使しなければ時効によって消滅する。ここに言う「損害及び加害者を知った日」とは、公務員の職務執行上の不法行為の存在及びそれによる損害の発生など不法行為の要件事実について現実的かつ具体的に認識した時を意味するが、被害者等がいつ不法行為の要件事実を現実的かつ具体的に認識したものと見るかは、個別事件で各種の客観的事情と損害賠償請求が可能となった状況などを総合して合理的に判断すべきである(大法院2012年4月13日宣告2009年다33754判決等参照)。 

国家賠償請求権について上記のような5年の長期時効期間の起算と3年の短期時効期間の起算には、上記消滅時効規定が適用されるほか消滅時効の起算点に関する一般規定である民法第166条第1項が適用されるので、 消滅時効は客観的に権利が発生し、その「権利を行使できる時」から初めて進行し、その権利を行使することができない間は進行しない(国家賠償請求権に関する3年の短期時効期間の起算に関する大法院 2012年4月13日宣告2009다33754判決、大法院 2023年1月12日宣告2020다210976判決等参照)。 

3) 消滅時効の成否に関する判断

    ア) 前掲の各証拠及び甲第13~16、18、21~23、25~30、32~38、40、41号証の各記載に弁論全体の趣旨を総合して認められる次のような事実及び事情に照らせば、原告が本件訴を提起する頃まで原告には客観的に本件損害賠償請求権を行使することができない障害事由があったと言うのが妥当であるから、その消滅時効完成前に原告の本件訴が提起されたと言うべきである。

① 米軍と大韓民国軍は1973年にベトナムから撤収し、南ベトナム政府は 1975年4月30日、北ベトナムの全面攻勢の中で降伏してベトナム戦争は公式に終戦し、1976年7月2日にベトナム社会主義共和国が樹立された。その後大韓民国とベトナムは国交が断絶された状態で経過したが、1992年2月22日にようやく修交に至った。即ち本件が発生してから7年間戦争が続き、終戦となった後は大韓民国とベトナムの修交が断絶され、原告が自分の損害に対する賠償請求をすることが不可能な状況であった。 

② 本件の発生当時原告は満8歳であり、本件で家族は全て死亡したり、深刻な負傷をして事実上孤児となり、そのため原告は小学校教育すらまともに受けられない状態で困難な生活をするしかなかった。 

③ 駐越韓国軍はフォンニィ村で起きた本件が発生した直後の1968年4月 に憲兵隊捜査官を通じて1中隊員らを対象として本件を「韓国軍に変装したベトコンの所行」という趣旨で調査することにして真相を隠蔽する措置をとり(甲第18号証)、続いて1968年6月に駐越韓国軍司令官(チェ・ミョンシン将軍)名義の公式書簡を通じて「韓国軍に変装したベトコンらの所行」という見解を表明するなど、事件の真相の隠蔽を試みたと見られるだけの情況事実がある。 

④ 被告は1969年に捜査機関(中央情報部)を通じて広範囲に本件につい て真相調査を行ったものと見られるが、現在まで外交的問題などを理由に関連資料に対する公開拒否はもちろん真相調査の有無に対する確認もまともにしないなど、事件の真相を隠蔽している。 

⑤ 大韓民国とベトナムとの間の修交が行われた後にも、ベトナム戦争での大韓民国軍人の民間人殺傷の有無についての被告の公式的な見解は「これを確認できない」というものだった。原告をはじめとする生存被害者たちは2019年4月4日、被告に対して真相調査と被害回復などを要求する請願もしたが、被告は2019年9月9日、「国内の資料では大韓民国軍の民間人虐殺を確認することはできず、事実確認のためにはベトナム政府との共同調査が必要だが、現実的ではない」と答弁した。 

⑥ 戦争などの時期に軍人が組織的、集団的に犯した生命と身体に対する基本権侵害行為は隠蔽されやすく、通常の法手続による救済が難しい。 その上、原告が外国人であるという点と被告の上記のような隠蔽や真相究明妨害などにより、原告は最近まで本件の加害部隊を特定することすら難しい状況だった。 

⑦ 大韓民国内で本件に関するマスコミ報道、駐越米軍監察報告書の秘密 解除及び内容紹介、本件に関して調査を受けたという関連部隊員のインタビューないし陳述などがあったが、国内で公的に確認された資料はなかったものとみられる。その中でベトナム戦争の時期の韓国軍による民間人虐殺問題に関する真相究明など活動を展開する民間団体の弁護士(本件原告の訴訟代理人の一人である)が2017年8月2日、国家情報院長に対して「国家情報院の前身である中央情報部で1969年11月、本件当時、本件1中隊の将校として勤務していた3人(V、W、X)を被調査者として調査した」ことを理由に「関連者を調査して作成した文書目録」と中央情報部が「本件に関連して作成した報告書等の文書目録」に対する情報公開請求をしたが拒否されると、情報公開拒否処分取消の訴(ソウル行政裁判所2017年구합83614)を提起し、2018年7月27日の裁判所判決を通じて「国家情報院で本件に関連して本件1中隊の将校として勤務していた被調査者3人を調査して作成した文書を1972年8月14日マイクロフィルムの形で保管するために撮影し、その目録が存在する」との事実を確認することができた(その後、最終的に国家情報院長から2021年4月6日、マイクロフィルム撮影目録中の被調査者3人の名前と出身地のみ記載された内訳を受け取ることができた)。これを通じて、関連部隊員らのマスコミとのインタビューないし陳述に符合する公的な資料が存在することが初めて確認された。 

⑧ 原告としては、上記のような一連の証拠資料と公的な資料を確保していない状態で、その前に漠然と被告に対して国家賠償請求の訴を提起しても、その損害賠償請求が受け容れられる可能性がなかったと言うことができ、損害賠償請求をする実益がない状態だった。 

イ) 上記の点に照らせば、大韓民国政府や軍当局が原告の本件国家賠償請 求権行使を直接的に妨害したものではなくても、原告が本件訴を提起する頃まで原告には客観的に本件損害賠償請求権を行使することができない障害事由があったと言える。 

4) 消滅時効完成の主張が権利濫用に該当するか 

ア) 一方、債務者の消滅時効に基づく抗弁権行使も韓国民法の大原則であ る信義誠実原則と権利濫用禁止原則の支配を受けるものであり、債務者が時効完成前に債権者の権利行使や時効中断を不可能または著しく困難にしたり、そのような措置が不要であると信じさせる行動をしたり、客観的に債権者が権利を行使できない障害事由があったり、またはいったん時効が完成した後に債務者が時効を援用しないような態度を見せ、権利者にそのように信頼させたり、債権者保護の必要性が大きく、同じ条件の他の債権者が債務の弁済を受領するなどの事情があり、債務履行の拒絶を認めることが著しく不当または不公平になるなどの特別な事情がある場合には、債務者が消滅時効の完成を主張することが信義誠実原則に反し、権利濫用として許容されない(大法院2011年10月13日宣告2011年다36091判決等参照)。 

イ) 仮に原告の損害賠償請求権に対する5年の長期消滅時効が完成したとしても、前掲3)のア)①~⑧のような事情ないし事由に照らせば、被告が消滅時効の完成を主張し、原告に対する不法行為による損害賠償債務の履行を拒絶することは著しく不当であり、信義誠実の原則に反する権利濫用として許されないと言うのが妥当である。 

オ. 損害賠償の範囲 

1) 関連法理

裁判所が不法行為による慰謝料を算定するにあたっては、被害者の年齢、職業、社会的地位、財産及び生活状態、被害で被った苦痛の程度、被害者の過失の程度など被害者側の事情に加害者の故意、過失の程度、加害行為の動機、原因、加害者の財産状態、社会的地位、年齢、事故後の加害者の態度など加害者側の事情まで合わせて参酌することが損害の公平負担という損害賠償の原則に合致する(大法院2009年12月24日宣告2007年다77149判決参照)。 

不法行為時と弁論終結時の間に長期間の歳月が経過し、慰謝料を算定するとき必ず参酌すべき弁論終結時の通貨価値などに不法行為時と比較して相当な変動が生じたときは、例外的に不法行為による慰謝料賠償債務の遅延損害金はその慰謝料算定の基準時である事実審弁論終了日から発生すると言うべきであり、このように不法行為による慰謝料賠償債務の遅延損害金が事実審弁論終了日から発生すると言うべき例外的な場合には、不法行為時から遅延損害金が加算される原則的な場合よりも賠償が遅れた事情を適切に参酌して事実審弁論終結時の慰謝料元金を算定する必要がある(大法院2011年1月13日宣告2009다103950判決、大法院2022年9月29日宣告2018年다224408判決等参照)。 

2) 判断 

本件人権侵害の不法性と程度、原告の年齢、原告が不法行為により被った被害と苦痛の内容と程度、類似事件で認められた慰謝料金額、本件不法行為が起きた時から50余年に至る長い期間賠償が遅延し、その期間に物価と通貨価値が相当な程度変動し、慰謝料額の増額が必要な点などを考慮して、慰謝料を40,000,000ウォンと定める。 

また、本件慰謝料賠償債務の遅延損害金は、その慰謝料算定の基準時である事実審弁論終結日から発生するとする例外的な場合に該当すると言うのが妥当である。 

3) 小結

被告は原告に認められた慰謝料のうち原告が求める30,000,100ウォンとこれに対する本件弁論終結日の2022年11月15日から被告がその履行義務の存否や範囲に関して争うことが妥当であると認められる本判決宣告日の2022年2月7日までは民法所定の年5%、その翌日から支払済までは訴訟促進等に関する特例法所定の年12%の各割合で計算した遅延損害金を支払う義務がある。 


5. 結論 

原告の請求は上記の認定範囲で理由あるので認容し、その余の請求は理由なく、これを棄却することにして、主文の通り判決する。 

 

裁判官パク・ジンス


[別紙] 

ベトナム法令目録


1.    ベトナム民法第 598 条

国家は国家賠償責任法に規定された通り、公務執行者(法執行者)により発生した損害を賠償しなければならない。 


2.    ベトナム国家賠償責任法第 2 条、第 3 条

第2条 本法に規定されている国家の補償責任の範囲内で、公務の遂行者によって物質的被害を受け、または精神的苦痛を受けている個人及び組織は補償を受ける。 

第3条 

1 損害を被った者とは、本法に規定する国家賠償責任の範囲内で、公務遂行 者によって物質的損害を被り、または精神的苦痛を受けた個人又は組織をいう。

2 公務遂行者とは、幹部及び公務員に関する法律及び関連法に基づき、国家機関で行政管理を遂行するため、又は法的手続又は判決執行を遂行するために選出、承認、採用又は任命される者又は管轄国家機関で行政管理、法的手続または判決執行に関する作業を遂行するよう指定された者を意味する。


3.    ベトナム憲法第30条および第48条

第30条

1. すべての人は機関、団体、個人の法律違反について管轄機関、団体、個人に異議申請、告訴する権利を有する。 

2. 管轄機関、団体、個人は異議申請、告訴を受理、解決しなければならない。 損害を受けた者は法律の規定により物質、精神及び名誉回復について賠償を受ける権利を有する。 

第48条

ベトナムに居住する外国人はベトナム憲法と法律を遵守しなければならず、ベトナムの法律に従って生命、財産および正当な権利、利益の保護を受ける。


4.    ベトナム民事訴訟法第465条

1. ベトナムの外国人、外国機関及び団体、国際機関、国際機関代表事務所は、自身の合法的権利と利益の保護を要請するために、その権利と利益が侵害され、または紛争中であるとき、ベトナム裁判所に訴訟を提起することができる。

2. 外国人、外国機関、外国団体、外国もしくは国際機関のベトナムにある代表事務所や支店などが民事訴訟手続に参加するとき、民事訴訟手続に参加するためにベトナム市民、機関、団体などと同一の権利と義務を有する。 


5.ベトナム行政訴訟法第299条

1. 外国人、外国機関、外国団体、外国あるいは国際機関のベトナムにある代表事務所や支店などは、(ベトナム政府の)行政的決定や行為が違法であり、これが彼らの合法的権利と利益を侵害すると信じる根拠があるとき、当該行政的決定や行為に対する検討を求めるためにベトナム裁判所に訴訟を提起することができる。

2.行政手続に参加するとき、ベトナムの外国人、外国機関、外国団体、外国あるいは国際機関のベトナムにある代表事務所や支店などは、ベトナム市民、機関、団体と同じ手続上の権利と義務を有する。

3.ベトナムは相互主義の原則を適用してベトナム市民、機関および組織、海外のベトナム機関および組織の支店および代表の(行政訴訟の権利を)制限する国家の外国人、外国機関および団体、外国機関および団体の支店または代表事務所、ベトナムの国際機関または代表機関の関連行政訴訟の権利を制限することができる。



[別紙2]

派越韓国軍戦史付図怪龍1号作戦経過要図のうち、本件1中隊作戦部分